堀井憲一郎 著作

堀井憲一郎本人による著作の解説

文庫本は何冊積んだら倒れるか 本の雑誌社 2019/9/25

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本の雑誌の連載をまとめた本。

連載のときに一生懸命書いてるので、本にするときにはさほど手間がかからないという著作者にはもっとも嬉しい(というか楽というか)書物です。

そういえば、連載をただまとめた本ってのは、いままであまり出してないからねえ。多くが書き下ろしで、もう、書き下ろしはあまり採算が合わない時代になってきました。出版社も売れないとおもっていても、えいやっと出してる感じがどんどん強くなってきて、みんなで博打を打ってるみたいですね。

ただ、この本は、おもしろい。

ふつうの読者として自分の本を読んでいて、おもしろいとおもう。

この本を読んでいて、自分で笑ってしまった。笑って元気が出た。変な話だけど、ああ、そうそう、おれはこういうのを書いてるのが一番いいんだよ、そうだ、がんばれ、という気分になった。ちょっと気持ちが沈んでるときに読んで、自分で自分に元気づけられた。すごいねどうも。

 

 

教養として学んでおきたい落語 マイナビ出版 2019/08/30

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 2019年8月に発売された落語の新書本。

 マイナビ出版では「教養として学んでおきたい」シリーズというのを始めていて、その第一弾が「仏教」で、第二弾が「哲学」。

 その第三弾として「落語」を出したいということで、依頼が来た。つまり最初から『教養として学んでおきたい落語」というタイトルが決まっていて、それから書き出した新書である。私が出す本としては珍しいパターンである。

 

 書き下ろしである。寒いころに依頼が来て、暑いころに書き終わったという感じだった。2019年のお話。

 

 落語の入門書でもある。でも、あまり入門書のつもりで書いていない。

 

 日常、落語を聞く人にも、落語はこういう見方ができるんではないか、ということも書いたつもりである。

 ひとつは「落語はいまを語っている」という部分。

 着物を着て、すごい昔の生活を語っているようだけれどそれはいまに通用するものしか残されていないということである。落語って何か学んでから聞かないと理解できないんじゃないかという哀しい誤解に対する私なりの解説である。現役の娯楽としての落語をあまりなめないでいただきたいという話でもある。

 ただまあ、入門書的な側面も入れなくてはいけなくて、これはもともとの企画の意図でもあるので、「落語の歴史」や「落語の演目の紹介」というところも書いた。これはまあ、編集者は入れたがるが、現場ではほとんど必要ないものなんだけど、それもまあ知ってる人でも読めるように書いた。歴史は「現在」に続いているものとして、その部分を書いた。いまにつながってない歴史は、あまり意味がないからね。「そもそもの落語のルーツはなにか」なんてことには、私は興味がない。目の前の人を笑わせて、そこから礼金ないしは、何らかの報酬を得てないものは落語ではないので、入れてない。

  天明寛政年間(江戸時代の中期)以前の落語(のようなもの)については、現在へのつながりが明確でないぶん、参考程度でいいとおもっている。

 

 ついでに書いておくと、私はどうも「明治時代」「大正時代」という名称と「江戸時代」という名称を併記することにすごく抵抗を感じる。明治、大正は元号であり、「江戸」は政権中枢の所在地を示す言葉でしかなく、一緒に並べるととても変な感じがするのだ。「江戸」時代のつぎの呼称は「東京」時代であるべきだし、明治大正と並べるなら、元治慶応、嘉永安政、文政天保、などと表記すべきではないかとおもっていて、本書でもいくつかそう書いている。ただまあ、江戸時代の元号って、享保、寛政、文化文政、天保あたりが教科書に載っているくらいで、そのほかの年号はさほど有名じゃないから、むずかしいところなんだけどね。でも「江戸から明治」って、やはりすごい変な感じがぬぐいきれない。

 

 落語演目も紹介している。意味がありそうで、そんなにない作業におもえるんだけれど、「滑稽噺」と「人情噺」に分けて紹介した。

 そこで、人情噺といわれる演目の共通点は何かと考えたところ、「長い噺」ということ以外におもいつかなかった。滑稽話と人情噺の違いは、細かい部分をとっぱらえば、ただ、短い噺と長い噺に分けられるのではないか、と書いていて気付いたのだ。

 本を書くと、書いてる最中にいくつもの発見があるものだけど、これはそのひとつだった。

 寄席でトリ(ないしは仲入前)しか演じないのを「人情噺」と呼び、それ以外の演者がやるのを「滑稽噺」と呼んでいる、というふうに言えなくもない。厳密には言えないけどね。でもまあざっくり説明するにはそういうのでいいのかとおもった。

 

 落語のオチとは何か、というところも、この新書で考えた。

「お話の最後のひとこと」で、「何か納得させられる粋なセリフ」というのが、一般的なオチに対する理解だろうけれど、落語を聞けば聞くほど、そうではないオチに出会うことになる。オチについて、よく語られるが、じつはさほど深く掘り下げられてないんじゃないか、というのが、目下のところ、オチについて私の持っているイメージである。

 当書ではオチは「終わったことがわかる一言」とした。それが本質だとおもう。ただ、オチについてはここからまた深く考えていかなきゃいけないとおもっている。いままでのオチの分類は、どうもペダンチックなところが目立って「現場感」が薄いようにおもう。ないしは「演者からの視点」と「客としての視点」のバランスが悪いような気がしている。これからもオチについて分析を続けていきたい。そのうちどこかに書きます。たぶん。

 

 4月中に書き終えて6月に出しましょう、と担当のタジマさんと話していたのだけれど、まるまる2カ月遅れて、6月に書き終えて、8月に出た。

 

 マイナビ出版というのはどんな出版社かよく知らない。

 そういえばマイナビ出版へ一度も行かなかった。出版元を一度も訪れたことのないまま本を出したのは初めてである。昭和平成ではそういうことはなかったな、と少し感慨深い。

 

ボーっとディズニーランド行ってんじゃねーよ 双葉社 2019/06/02

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 ディズニー本。

 ディズニーランド&シーのアトラクションの原作はどういう話かを紹介した本。

 サブタイトルは「ディズニーアトラクション34 本当の物語」。そこまで入れるとかなり長いタイトルになる。

 出したのは双葉社

 私が昭和の終わりころにライターを始めたとき、双葉社とはずっと仕事をしていた。最初から5冊の本はすべて双葉社から出している。

 ひさしぶりに行ってみると、30年前には新人編集だった人が役員になってたりして、驚くと同時にちょっと笑ってしまった。なんか、社会そのもののに対して笑っちゃうというのか、へー、あの人が社長で、あやつが専務で、あいつが常務だってか、でははははという感じで、まあ、笑うところではないけど、人生の妙味に触れるというかね、そういう笑いです。あいつが社長では変だとかそういう意味ではない。しらぬうちに刻がすぎることへの笑いっていうかね。そういうやつ。

 

 ディズニー本はずっと新潮社から出していたけれど、あらためて別のところから出してみようかというところで双葉社から出した。どうでもいいことながら、新潮社から双葉社って、歩いて10分少々くらいの距離ですな。近い。

 

 世の中には、さほどディズニー映画を見ておらずに「ディズニーランド&シー」へ行く人がいるものである。誰かに誘われて行く人たちが多い。でなきゃ、あんなに混まない。そういう人たちに向けて書いたものである。

 ただまあ、ディズニーの本って、ディズニー大好きな人が読むからねえ。そういう人たちにとっては、たとえば「アナと雪の女王」や「美女と野獣」の世界もお話も周知のことだから、それを話されても困るのかもしれない。そういう人たちにとっても、新しい視点に気付くように書いたつもりなんだけど、どこまで気が付いてもらえるのかはわからない。

 

 原作の存在するすべてのアトラクションを紹介したので、そうそう、知られていない原作も触れている。

 とくに、スプラッシュ・マウンテンの原作である「南部の唄」は平成時代最初のころはレンタルビデオが存在していたけれど、途中から製造中止となって、いまは見られない作品である。だけどスプラッシュマウンテンは人気だ。そのバックボーンについて、そこに出てくるウサギどんとキツネどんについて、私は現場でもう何十回と同行者に説明してきた。たぶん30回ではきかないくらいだろう。それを書いた。

 また、シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジについては、原作映画が存在しない。このアトラクションの原作は、大昔の説話「千夜一夜物語」である。古代の説話だ。日本でいえば奈良時代とか平安時代あたり。その時代の話である。

 そこにシンドバッドの冒険の原話があり、それを読んで、紹介した。

 読まれてみるといいが、かなり読みにくい話である。まあ古代の外国の説話だから、その世界観がよくわからないのだ。シンドバッドの7つの冒険について書いてあるが、どれも異様である。ディズニーシーではその世界をアトラクションにしていて、あのアトラクションだけはたしかに特異だとおもう。そのバックボーンを紹介している。千夜一夜物語を読んでからあれに乗ると、ちょっと世界が違って見えてとても面白いんだけど、そういう人はけっこう少数派だとおもう。

 そういう細かい部分にいろいろと触れた。

 あと「スターウォーズ」シリーズや「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズなど、見てない人にとっていまさら全編を見るのにはかなり勇気がいるものについて、全編をざっくり説明している。本気で説明すると、それだけで本1冊になってしまいそうなので、ざっくりだけど。

 

 ディズニーアニメも多くは、童話などに原典がある。

「白雪姫」も「シンデレラ」も「リトルマーメイド」「美女と野獣」「アナと雪の女王」などには原典があって、それらはすべて見事にアメリカに都合のいいように改変されている。もとは、その原典とアニメの差異についても書いていたんだけど、そこに踏み込むと、「アニメとアトラクションの関係」とは関係なくなってしまうので、残念ながら割愛した。うーん。残念。まあでもそこの考察は、あまりディズニーアトラクションを楽しむ考察にはならないからねえ。

「白雪姫」「シンデレラ」などの原話の最後は、かなり残虐なんだけど、そのへんはウオルト・ディズニーは素知らぬ顔をしてスルーしてますからねえ。

 まあ、そういう本です。

 

 全文をですます調で書いた。あまり慣れない文体である。

 自分で、自分の文体は「ときどきわざと調子をくずすこと」によって前に進んでいるのだな、と気付いてしまう。

 タイトルは、もともと担当編集のサラシナさん、および役員ピノリーと話をしてるときに「ぼんやり行ってる人に読んで欲しいんだよな」という話をしていて、そういう方向にしますか、というところで決まって、べつだんテレビ番組に寄せて考えていたわけではない。でも、さらに話してるうちに「ボーッとディズニーランドに行ってるんじゃないよってことですよ」と私がどこかで言ったらしく、それでいきましょうか、ということになったのである。まあちょっと気恥ずかしいタイトルではある。