堀井憲一郎 著作

堀井憲一郎本人による著作の解説

教養として学んでおきたい落語 マイナビ出版 2019/08/30

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 2019年8月に発売された落語の新書本。

 マイナビ出版では「教養として学んでおきたい」シリーズというのを始めていて、その第一弾が「仏教」で、第二弾が「哲学」。

 その第三弾として「落語」を出したいということで、依頼が来た。つまり最初から『教養として学んでおきたい落語」というタイトルが決まっていて、それから書き出した新書である。私が出す本としては珍しいパターンである。

 

 書き下ろしである。寒いころに依頼が来て、暑いころに書き終わったという感じだった。2019年のお話。

 

 落語の入門書でもある。でも、あまり入門書のつもりで書いていない。

 

 日常、落語を聞く人にも、落語はこういう見方ができるんではないか、ということも書いたつもりである。

 ひとつは「落語はいまを語っている」という部分。

 着物を着て、すごい昔の生活を語っているようだけれどそれはいまに通用するものしか残されていないということである。落語って何か学んでから聞かないと理解できないんじゃないかという哀しい誤解に対する私なりの解説である。現役の娯楽としての落語をあまりなめないでいただきたいという話でもある。

 ただまあ、入門書的な側面も入れなくてはいけなくて、これはもともとの企画の意図でもあるので、「落語の歴史」や「落語の演目の紹介」というところも書いた。これはまあ、編集者は入れたがるが、現場ではほとんど必要ないものなんだけど、それもまあ知ってる人でも読めるように書いた。歴史は「現在」に続いているものとして、その部分を書いた。いまにつながってない歴史は、あまり意味がないからね。「そもそもの落語のルーツはなにか」なんてことには、私は興味がない。目の前の人を笑わせて、そこから礼金ないしは、何らかの報酬を得てないものは落語ではないので、入れてない。

  天明寛政年間(江戸時代の中期)以前の落語(のようなもの)については、現在へのつながりが明確でないぶん、参考程度でいいとおもっている。

 

 ついでに書いておくと、私はどうも「明治時代」「大正時代」という名称と「江戸時代」という名称を併記することにすごく抵抗を感じる。明治、大正は元号であり、「江戸」は政権中枢の所在地を示す言葉でしかなく、一緒に並べるととても変な感じがするのだ。「江戸」時代のつぎの呼称は「東京」時代であるべきだし、明治大正と並べるなら、元治慶応、嘉永安政、文政天保、などと表記すべきではないかとおもっていて、本書でもいくつかそう書いている。ただまあ、江戸時代の元号って、享保、寛政、文化文政、天保あたりが教科書に載っているくらいで、そのほかの年号はさほど有名じゃないから、むずかしいところなんだけどね。でも「江戸から明治」って、やはりすごい変な感じがぬぐいきれない。

 

 落語演目も紹介している。意味がありそうで、そんなにない作業におもえるんだけれど、「滑稽噺」と「人情噺」に分けて紹介した。

 そこで、人情噺といわれる演目の共通点は何かと考えたところ、「長い噺」ということ以外におもいつかなかった。滑稽話と人情噺の違いは、細かい部分をとっぱらえば、ただ、短い噺と長い噺に分けられるのではないか、と書いていて気付いたのだ。

 本を書くと、書いてる最中にいくつもの発見があるものだけど、これはそのひとつだった。

 寄席でトリ(ないしは仲入前)しか演じないのを「人情噺」と呼び、それ以外の演者がやるのを「滑稽噺」と呼んでいる、というふうに言えなくもない。厳密には言えないけどね。でもまあざっくり説明するにはそういうのでいいのかとおもった。

 

 落語のオチとは何か、というところも、この新書で考えた。

「お話の最後のひとこと」で、「何か納得させられる粋なセリフ」というのが、一般的なオチに対する理解だろうけれど、落語を聞けば聞くほど、そうではないオチに出会うことになる。オチについて、よく語られるが、じつはさほど深く掘り下げられてないんじゃないか、というのが、目下のところ、オチについて私の持っているイメージである。

 当書ではオチは「終わったことがわかる一言」とした。それが本質だとおもう。ただ、オチについてはここからまた深く考えていかなきゃいけないとおもっている。いままでのオチの分類は、どうもペダンチックなところが目立って「現場感」が薄いようにおもう。ないしは「演者からの視点」と「客としての視点」のバランスが悪いような気がしている。これからもオチについて分析を続けていきたい。そのうちどこかに書きます。たぶん。

 

 4月中に書き終えて6月に出しましょう、と担当のタジマさんと話していたのだけれど、まるまる2カ月遅れて、6月に書き終えて、8月に出た。

 

 マイナビ出版というのはどんな出版社かよく知らない。

 そういえばマイナビ出版へ一度も行かなかった。出版元を一度も訪れたことのないまま本を出したのは初めてである。昭和平成ではそういうことはなかったな、と少し感慨深い。